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亜麻の歴史|古代文明から北海道開拓まで受け継がれる文化

亜麻の花

 

衣類の原料となるリネンや、種子から搾られる亜麻仁油など、私たちの暮らしのさまざまな場面で利用されている亜麻。

 

近年では、自然素材やサステナブルな暮らしへの関心の高まりとともに、改めて注目されている植物です。

 

しかし、亜麻が「いつ頃から、どのように人々の暮らしに関わってきたのか」という歴史については、意外と知られていません。

 

亜麻は、人類が古くから利用してきた植物の一つです。古代文明からヨーロッパでの発展、そして北海道の開拓期まで、長い歴史の中で人々の衣服や食、産業を支えてきました。

 

この記事では、亜麻が歩んできた歴史をたどりながら、人々の暮らしや文化とどのように関わってきたのかをわかりやすく紹介します。

 

亜麻とはどんな植物なのか

 

 

亜麻の歴史を紐解く前に、まずはどのような植物なのかを簡単に紹介します。

亜麻はアマ科アマ属の一年草で、初夏になると細い茎の先に、透き通るような淡い青色の花を咲かせます。一つひとつの花は短命で、朝に咲き始め、ほとんどが午前中には散ってしまいます。

 

しかし開花期には毎朝次々と新しい花が咲き、畑一面を淡いブルーに染めます。
亜麻の大きな特徴は、茎と種子のそれぞれが異なる用途に利用されてきたことです。

 

・茎の繊維
茎から採れる繊維は、リネンの原料となります。

 

・種子(アマニ)
種子は食品として利用されるほか、圧搾することで亜麻仁油が得られます。

 

 

このように亜麻は、古くから「衣」と「食」の両面で人々の暮らしに利用されてきました。

亜麻のより詳しい特徴についてはこちらの記事をご参照ください。

 

亜麻とは?基本的な知識とリネンや亜麻仁油との違いをわかりやすく解説

 

古代文明における亜麻の歴史

 

亜麻と人間との関わりは、私たちが想像するよりもはるかに古い時代から始まっています。

 

亜麻が古くから利用されてきた地域の一つが、古代エジプトです。エジプトでは紀元前5000年頃の遺跡から亜麻で作られた布が確認されており、紀元前4千年紀の先王朝時代には、リネンはすでに人々の暮らしの中で広く使われるようになっていました。

 

古代エジプトでは清浄であることが重んじられ、神殿に仕える神官たちはリネンの衣服を身につけていたことが、古代ギリシャの歴史家ヘロドトスの記録にも残されています。

 

古代エジプトを象徴するミイラにも、亜麻は欠かせない存在でした。ミイラの身体を何重にも包んでいる布にはリネンが使われ、さらに時代によっては、リネンを重ねて石膏などで固めた「カルトナージュ」と呼ばれる技法によって、ミイラを覆うマスクやケースなども作られました。

 

このように亜麻から生まれるリネンは、古代エジプトの人々の日常生活から宗教、死者を弔う文化まで、幅広い場面で利用されていたのです。

 

参考:亜麻読本

 

 

ヨーロッパで発展した亜麻文化

 

亜麻は、古代エジプトや地中海世界だけでなく、ヨーロッパでも古くから利用されてきました。時代とともに栽培や加工の技術が発達し、リネンは人々の暮らしに深く根づいていきます。

 

8世紀末から9世紀初頭、フランク王国のカール大帝(シャルルマーニュ)の時代につくられたとされる『Capitulare de villis(王領地令)』には、亜麻をはじめとする農産物や繊維生産に関する記述が見られます。当時、亜麻やリネンの生産が王領地の暮らしや経営を支える営みの一つであったことがうかがえます。

 

中世から近世にかけて、リネンは衣類だけでなく、下着やシーツ、テーブルクロスなど、日常生活のさまざまな場面で使われる重要な素材となりました。

また、亜麻は茎から得られる繊維だけでなく、種子から採れる亜麻仁油も利用されてきました。亜麻仁油は乾性油としての性質を持つことから、塗料やワニス、画材などにも用いられてきました。

 

18世紀後半以降、産業革命によって綿製品の大量生産が進むと、ヨーロッパの繊維産業は大きく変化していきます。それ以前のヨーロッパでは、リネンは羊毛などと並び、人々の衣服や暮らしを支える主要な素材の一つでした。

 

機械化による大量生産

19世紀初頭、フランスの発明家フィリップ・ド・ジラールは、近代的な亜麻の機械紡績につながる重要な技術を開発しました。1810年には亜麻の紡績技術に関する特許を取得し、その後も改良を重ねていきます。

 

こうした技術の発展とともに、それまで多くの工程を人の手に頼っていたリネン産業にも機械化が広がり、糸や織物をより効率よく、大量に生産できる時代へと移っていきました。

 

参考:亜麻読本

 

産業革命と亜麻産業

 

長い間、人の手によって紡がれてきた亜麻は、18世紀後半にイギリスで始まった産業革命によって大きな転換期を迎えます。

 

機械化による大量生産

19世紀初頭、フランスの発明家フィリップ・ド・ジラールが、亜麻を機械で紡績する技術を開発しました。1810年にはその原理に関する特許を取得し、その後も改良が重ねられていきます。

それまで多くの工程を人の手に頼っていたリネン産業にも機械化が広がり、糸や織物をより大量に生産できる時代へと移っていきました。

 

綿との競争

一方、産業革命によって急速に成長したのが綿(コットン)産業です。
綿は紡績や織布の機械化との相性がよく、原料供給の拡大とともに安価な綿製品が大量に生産されるようになりました。

 

それまでヨーロッパの主要な繊維の一つだったリネンは、次第に大量生産される綿製品との競争にさらされるようになります。

 

 

日本における亜麻の歴史

 

では、日本にはいつ頃から亜麻が伝わり、どのように産業として発展していったのでしょうか。

 

第2回亜麻フォトコンテスト 審査員特別賞 「67年前 農学校による援農(亜麻収穫作業)

 

 

日本への伝来は江戸時代

日本に亜麻が伝わったのは江戸時代とされ、当初は繊維原料というより、種子や亜麻仁油が薬用などに利用されていました。

 

江戸時代には中国からさまざまな薬物や植物が伝えられ、幕府も薬用植物の国内栽培を進めていましたが、亜麻がこの時代に繊維作物として広く定着することはありませんでした。

亜麻が日本で本格的な繊維産業へと発展するのは、明治時代に入ってからです。

 

明治時代の北海道開拓と亜麻

 

明治時代、北海道の開拓が本格化すると、冷涼な気候に適した新たな作物の導入が進められました。その中で注目された作物の一つが亜麻です。

 

開拓使に招かれた外国人技術者トーマス・アンチセルは、北海道での亜麻栽培の可能性を提言しました。

 

その後、ロシアに赴任していた榎本武揚が1874年(明治7年)に亜麻の種子を日本へ送り、北海道での栽培へとつながっていきます。

 

出典:帝国繊維株式会社琴似亜麻工場創業六十周年記念/資料提供:帝国繊維株式会社

 

近代的な製麻産業へ

亜麻を栽培するだけでなく、本格的な繊維産業へと発展させるうえで大きな役割を果たしたのが、内務省や農商務省で殖産興業に携わった官吏・技術者の吉田健作です。

 

吉田健作 画像 出典:『帝国製麻株式会社三十年史』/資料提供:帝国繊維株式会社

 

 

吉田は1878年(明治11年)、内務省勧農局に勤務していた時期に、農工業調査のためフランスへ渡りました。
帰国後の1881年には「リンネル(亜麻布)製造創設書」と予算明細書を政府に提出。その後もヨーロッパで製麻機械の購入や技術者の招聘に携わるなど、日本への近代的な製麻技術の導入を進めました。

 

1887年(明治20年)には北海道へ赴き、北海道製麻会社の創立に携わります。同年には北海道庁の技師となり、その後も同社の事業を指導しました。

 

1890年には札幌の新琴似村に製線所を設置するなど、北海道への近代的な製麻技術の導入を進めました。

 

こうして北海道では、亜麻の栽培から繊維の加工、紡績へとつながる産業が形成され、各地へと広がっていきます。

 

亜麻はやがて、北海道の農業と繊維産業を支える重要な作物の一つへと成長していきました。

 

参考:亜麻読本

繊維需要の高まり

出典:『帝国製麻株式会社三十年史』/資料提供:帝国繊維株式会社

 

 

明治後期から大正、昭和にかけて、日本の近代化とともに亜麻の需要は大きく伸びていきました。

 

特に日清戦争や日露戦争、第一次世界大戦などを背景に麻製品の需要が高まり、北海道でも亜麻の栽培と製麻産業が拡大していきます。帝国製麻の社史にも、日清戦争や日露戦争を契機として麻業界が好況を迎えたことが記録されています。

 

亜麻から得られる丈夫な繊維は、衣料や生活用品だけでなく、軍需を含むさまざまな用途に利用されました。戦時期には政策的に亜麻の作付けが拡大された地域もあり、亜麻は北海道の農業と繊維産業を支える重要な作物の一つとなっていきます。

 

農家にとって亜麻は、夏のうちに収穫期を迎え、お盆の時期に収入につながる作物でもありました。秋の主要な農作物の収穫を前に得られるこの収入は、当時の農家にとって貴重なものだったと伝えられています。

 

 

北海道と亜麻の歴史

 

日本の亜麻産業を語るうえで、北海道は欠かすことのできない地域です。

 

亜麻は冷涼な気候に適した作物で、高温多湿の環境では病害などの影響を受けやすい性質があります。

 

北海道の冷涼な気候は亜麻の栽培に適しており、明治期の開拓政策の中で試験栽培や生産が進められました。その後、本州では大きな産地として定着せず、北海道を中心に日本の亜麻産業が発展していくことになります。

 

北海道各地へ広がった亜麻産業

明治から大正、昭和にかけて、亜麻の栽培は北海道各地へ広がり、原料を加工する製線工場なども各地につくられました。

 

出典:『北海道亜麻事業七拾周年記念史』/資料提供:帝国繊維株式会社

 

札幌では、現在の北区麻生周辺をはじめ、亜麻産業と深く関わった地域がありました。

当別でも1889年(明治22年)には北海道製麻会社との契約による亜麻栽培が始まり、その後、六軒地区などに製線工場が設けられ、地域の主要産業の一つへと成長していきます。

 

第一次世界大戦期には需要の拡大を背景に栽培面積も大きく伸び、戦時期には軍需もあって北海道の亜麻生産はさらに拡大しました。

 

こうして亜麻は、北海道の農業だけでなく、工場での加工や紡績までを含めた一つの産業として、多くの地域に根づいていったのです。

 

 

北海道の亜麻産業が衰退していった背景

 

北海道で大きく発展した亜麻産業も、戦後の社会や産業構造の変化とともに、次第に衰退していきました。その背景には、化学繊維の普及をはじめ、いくつかの要因がありました。

 

1、化学繊維の普及

戦後、ナイロンやポリエステルなどの化学繊維が急速に普及し、日本の繊維産業は大きく変化していきました。大量生産に適した新しい繊維が広く使われるようになるなかで、亜麻などの天然繊維を取り巻く環境も厳しさを増していきます。
北海道立文書館も、戦後の化学繊維の伸長を、北海道の亜麻工場が閉鎖されていった背景の一つとして挙げています。

 

2、海外原料・製品との競争

戦後、海外との貿易が拡大するにつれて、国内の繊維産業は海外から供給される原料や製品との競争にもさらされるようになりました。

国内で栽培から加工まで行う北海道の亜麻産業にとって、こうした市場環境の変化は大きな影響を与えました。

 

3.国内の亜麻栽培と工場の減少

需要や産業構造の変化とともに、北海道の亜麻栽培と製麻工場は次第に減少していきました。
1963年(昭和38年)には帝国繊維の札幌工場が閉鎖され、1967年(昭和42年)には北海道での亜麻栽培がほぼ姿を消します。

 

その後も原料を加工する工場は操業を続けましたが、1970年(昭和45年)、最後まで残っていた十勝地方の音更亜麻工場が閉鎖されました。

 

同工場は、亜麻の原料工場として全国で最後まで操業していた工場とされています。

明治初期からおよそ100年にわたって北海道各地で育てられてきた亜麻は、こうして1960年代から70年にかけて、北海道の農村風景や産業の場から姿を消していきました。

 

4.リネンを取り巻く暮らしの変化

かつてリネンは、衣類や寝具、生活用品など、人々の暮らしに広く使われる実用的な素材でした。
しかし、綿製品や化学繊維が大量に普及すると、日常生活の中でリネンが担っていた役割も次第に変化していきます。

安価な繊維が広く流通する一方で、手間のかかる亜麻の栽培や加工によって作られるリネンは、次第にその風合いや質感、天然素材としての価値が重視される素材へと位置づけを変えていきました。

現在では、衣類や寝具、インテリアなどに使われる上質な天然素材として、リネンの魅力が改めて見直されています。

 

 

現代に復活する亜麻の価値

 

かつて北海道各地で栽培されながら、1960年代を境にその姿を消していった亜麻。

それから約40年を経て、北海道・当別町では亜麻をもう一度この土地に根づかせようという取り組みが始まりました。

 

2001年に試験栽培を行い、翌2002年から本格的な栽培がスタートします。

こうして北海道に再び戻ってきた亜麻は、かつての繊維原料としてだけではなく、現代の暮らしに合った新たな価値を持つ植物として注目されています。

 

サステナブル天然素材として再注目

環境負荷や衣類の大量廃棄などが世界的な課題となる中、植物から生まれる天然繊維であるリネンが改めて注目されています。
リネンは丈夫で長く使うことができ、使い込むほどに風合いが変化していくことも特徴です。また、天然の植物繊維であるため、適切な条件下では生分解される性質を持っています。

こうした特徴から、リネンは長く使い続けることのできる天然素材として、現代でもさまざまな衣類や生活用品に利用されています。

植物のさまざまな部分を活用できる

亜麻は、一つの植物からさまざまな素材を得られることも大きな特徴です。

茎から採れる繊維はリネンに、種子は食品や亜麻仁油に利用されます。

さらに、繊維を取り出す際に分離される木質部(シーブ)は、家畜の敷料や建築材料などに、亜麻仁油は塗料や画材などにも古くから利用されてきました。

植物のさまざまな部分を、それぞれの特性に応じて活用できることも、現代において亜麻が再評価されている理由の一つです。

 

食品としても注目される亜麻

 


現代では、繊維だけでなく、亜麻の種子である「亜麻仁(アマニ)」も食品として広く知られるようになりました。

 

亜麻仁から搾られる亜麻仁油には、オメガ3系脂肪酸の一種であるα-リノレン酸が多く含まれています。

α-リノレン酸は、人の体内でつくることができず、食事から摂取する必要がある「必須脂肪酸」の一つです。ビタミンCや必須アミノ酸などと同じように、体内で必要量をつくることができないため、食品から補う必要があります。

 

亜麻仁は粒や粉末として食品に利用されるほか、種子から搾った亜麻仁油も食用油として利用されています。

 

かつては主に繊維を得るために北海道各地で栽培されていた亜麻が、現在では「衣」だけでなく「食」の分野からも、再び私たちの暮らしに取り入れられるようになっています。

 

まとめ

 

可憐な青い花を咲かせる亜麻は、古代から現代まで、長い歴史の中で人々の暮らしと深く関わってきました。

 

古代エジプトのリネン、中世ヨーロッパの衣服や生活用品、北海道開拓期の一大産業。そして一度は北海道から姿を消しながら、約40年の時を経て当別町で再び栽培されるようになりました。

 

茎からはリネン、種子からは食品や亜麻仁油、さらに塗料や画材、建築材料などへ。時代によってその役割を変えながら、亜麻は今もさまざまな形で私たちの暮らしに生かされています。

 

長い歴史を知ることで、身近なリネンや亜麻仁油も、また少し違ったものに見えてくるのではないでしょうか。

亜麻公社は、かつて北海道の開拓期を支え、時代の流れとともに一度は姿を消した亜麻を、この地にもう一度根づかせる取り組みから始まりました。

 

現在も北海道・当別町で生産者とともに亜麻を育て、亜麻仁油や亜麻仁を使った食品をはじめ、亜麻という植物の魅力を暮らしに生かすさまざまな製品づくりに取り組んでいます。

 

かつて北海道の大地を一面に彩った亜麻が、現在どのような製品となって皆さまの暮らしにつながっているのか。興味を持っていただけましたら、ぜひ亜麻公社の公式通販をご覧ください。

 

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